英作への道2 ~In & Out~

言葉は実際に語ったり、書いたりした時に生まれます。それ以前に、自分の内側に(in)あったものを外へ(out)取り出して初めて、何を言いたかったか、書きたかったかが自分にもはっきりします。

さて、最近の生徒は表現力がない、ということをよく耳にします。現在おもに求められている、「主張・意見・説明」という形式については力不足なのかもしれません。しかし、このような形式の文章は、日本語での歴史は浅く、明治維新後になります。たとえば「・・・ハ・・・デアル」形式の文は、一説では明治憲法において始まったと言われています(柳父 章著『近代日本語の思想−翻訳文体成立事情』を参照)。その後さまざまな文筆家が苦労を重ねながら、少しずつ日本語として定着してきたといえるようです。今ではいろいろな場面で使います。しかし、必ずしも、「熟成」した表現になっているかと言えば、必ずしもそうではないように思えます。

このような生活背景の中で、きちんとした説明ができる、ということは案外にしんどいことなのかもしれません。しかし、日本はいつの時代も外国とどのように付き合うかが問題でした。いまもまだ〈開国〉途中だといえるのでしょうが、国際化という状況がそれを待ってくれそうにないということで、いま声高にその力が問われ、必要とされています。特に英語を学ぶという観点からすれば、まさに合理的な表現の見本に日々触れているわけですから、それを理解するためにも、きちんとした文章、「XはYである」を基本とした英文から、その表現法を学べばいいのだと思います。英作することはその形式に触れるよいチャンスでしょう。単に課題だからというのではなく、説明文をきちんと話したり、書いたりできることは、それだけ英語に近いところにいるということにもなります。日本的な世界と英語的な世界の両方が成り立つ場所に立って、ものが言えるようになればいいでしょう。国際的、英語的な世界の方がより価値があるということではなく、日本的なものと西洋的なものとの両方を、自由に行き来できる子どもたちを育てたいものです。

このように考えてくると、英作という行為は、試験では文法や熟語や構文の知識を求められることではあるのですが、一番肝要なことは、英語が備えている論理性と同時に、必ず何かを主語として据えるものの見方を身につけることにあるように思えます。「・・・ハ」とテーマや対象を取り上げて(日本語でも)作文する練習自体が、一歩英語に近づくことだと思います。英語を学ぶということは、知識を身につけること自体を指すのではなく、英語の世界のものの捉え方を理解することに他なりません。またそれが理解出来るに従って、語学としての英語力はつくものだと思われます。それこそがコミュニケーション能力というべきものではないでしょうか。

日本語の世界から英語の世界へinする。自分の世界から他者の世界へinする、そのようなダイナミズムが語学習得には必要だと思います。inとoutを行き来することで、「説明する、意見を述べる」という力がつきますので、英作訓練は文法や構文理解に止まらず、とても総合的な学習といえるでしょう。

 

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